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はい

パパはスパイになると決めた。そして、パパは自由への旅の許可を得たのよ。ねぇ、スパイになったとしてもね、もし何も報告しなくたって、多分わるいことはおきないんじゃないかしら。途中どこかで溶けちゃったみたいに、NKVDのスパイリストから消えちゃうんじゃないかしら?だって、無理やりにスパイにさせられた人たちのリストは膨大にあるんだもの。

旅行代理店「インツーリスト」で、パパはモスクワ経由ウラジオストク行きの列車の切符を買ったわ。1枚500USドル。金でできていたベルトのバックルは、もうなくなった。そんなベルトは使い物にならないから捨てちゃったわ。だから、旅の間中、パパとトリクのズボンは、ベルトの代わりにひもで結んでとめられていたの。その汽車の旅では、雪で真っ白な野原しか覚えていない。それから、駅で売っていたお湯のこと、それを飲んであったまった。いったいわたしたちは、どれくらい汽車に乗っていたのかしら。2週間? だけどね、ウラジオストクに着いた時にわかったの。ここまで来たのに、わたしたちは日本行きの船の切符をもってない!って。それにもう、切符を買うお金も持ってなかった。だけどある意味ラッキーなことに、汽車の中にはわたしたちみたいなお金も切符もない人たちでいっぱいだったわ。ねぇ、このみんなをカウナスへ、ソ連へ連れ戻す?そんなのできないでしょ。だって誰も帰りの切符を持っていないのだもの。そんな状況だったのだけど、現地の日本領事は、列車の全員を船に乗せてくれたのよ。「お金はなくとも、彼らは日本のビザを持っているじゃないですか!」とその人は税関の職員に言ってくれた。国境警備隊は長い間、パパのビザを調べていた。屈託のない笑顔で何かごにょごにょ言っていたけど、それからため息をついて、行っていいという風に手を振った。乗船していいって。

いったい、いくつの奇跡が起きたんだろう。わたしたちはやっと日本の敦賀に到着したのよ。 敦賀のすごく親切な人たちが、無料で暖かいお風呂に入らせてくれて、リンゴもくれたの。あのリンゴよりおいしいものなんてないわ。笑顔の日本人がくれた、あの飾り気のないリンゴ。それから、わたしたちは神戸に向かい、そこからさらにオーストラリアに向かった。そして一年後。もう忘れかけているたくさんの冒険を経て、最後にアメリカにたどり着いたのよ。アメリカのオハイオ州、クリーブランドには、復旧したばかりのテルシェ・イェシーバがあって、すっかり大人になったアーロンがいた。

今では、私もおばあさん。3人の素敵な子供と6人の孫、5人のひ孫がいるわ。トリクは奥さんと一緒に4人の子供を育てたし、子供たちそれぞれが3人の孫を産んでいる。ひ孫も2人いるけれど、これからもっと増えるでしょうね。そうそう、アーロンの奥さんは1番多く子供を産んだのよ。7人もね。その子たちそれぞれが、4人以上子供を産んでいるの。アーロンの家族の話になると、正直本当にわけがわからなくなるのよ。こんなにたくさんちびちゃんたちがいて、みんなかわいくて、まじめなの。それもそうよね、ラビ(ユダヤ教の聖職者)は人々に模範を示さなくちゃいけないのだものね。

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